Madam_toad’s blog

カエルを材料に進化生態学の研究をしている変わり者の独り言です。

ドビュッシーの「月の光」を聴くと亡き祖父を思い出す。

私は、戦争を知らないし、近しい親族で戦死者もいない。戦地に行っても、生きて帰ってきている。

 

表題の祖父は、母方の祖父で、戦後しばらくの間、シベリアに抑留されていたらしい。

直接祖父にその詳細を聞いたことはないまま、もう随分前に、亡くなってしまったけど。。。

本来、生きて帰ってこれたのが奇跡らしい。ではなぜ可能になったのか?

曽祖父が政治家と強いコネクションがあって、必死に探し出してくれたそうだ。名前を知らない人はいないような昭和の有名な政治家である。だから、生きて帰ってこれたといっても、それ自体は、背景を知れば褒められたことではないと思う。。。

 

祖父の斎藤一は、事業の関係で旧満州にいて、戦後の混乱でシベリアに抑留されるに至ったらしい。。。

母曰く、当時のことを詳細に記した日記があったそうだが、生前、燃やしてしまったのだという。

もう死んだものと思っていたら、ある日玄関に立っていた祖父は、ガリガリに痩せこけていて、どこのお爺さんさんだろう?という具合に、幼い母には誰だかわからなかったくらいだという。

 

私は何人もいる孫の中で、唯一、祖父と一緒にお風呂に入っていたという。子供好きなわけでもない、どちらかというと神経質な祖父が、孫娘と風呂に入って、寒風摩擦(昔いっとき、ちょっと流行った健康法で、冷たいタオルで体をゴシゴシ拭く習慣)していた。

祖父は年に数回くらいしか会わなかったと思うけど、幼稚園から小学生の頃、私はたまにくる祖父が好きだった。なぜかわからないが。子供心に古き良きダンディズムみたいなのを、感じ取ってたのかも知れない。

というか、実際、祖父はかなりのお坊っちゃまだった。

 

曽祖父が兵学校出身のガチエリートだったので、祖父が横須賀の駅に着くと、『司令長官おぼっちゃまのおかーえりー!!』っと兵隊さんが一列に並ばれて恥ずかしかった、と生前母に話していたそうだ(誰が作ってくれたのか親族もわからないのだけど曽祖父についてはwikiがある 斎藤半六 - Wikipedia)。

 

ちょっと、私には想像が及ばない世界だけど。そんな時代を見聞きした母が、なんだか浮世離れした雰囲気なのは、致し方ないのかな、て思う。

 

 

中学の時、その祖父が亡くなった。新宿で倒れて救急車で運ばれ、そのまま。。。あっという間に。

 

その頃だったと思う。母から私は、

シベリアで月を見ると、ドビュッシーの「月の光」を思い出し・・・涙が出た。』

と祖父が語っていた、という話を聞いた。

 

それ以来、

私は「月の光」を聴く度、祖父を思い出す。

 

 

ベートーベンの「月光」でなく、ドビュッシーの、というところが、なんとも言えない。

 

乾燥したシベリアの大地の空に浮かぶ「月」は、確かにドビュッシーの「月の光」だったんだろう。

この場合、ベートーベンの「月光」は違う。確かに違う。

感情が抑えられ、ただただ自然のありのままを冷静に表現したドビュッシーの音色は、自然の美を知る者ならどんな心情を持った聞き手にも、深く深く、突き刺さる。

ベートーベンだってそりゃ素晴らしいけど、あの楽曲にはベートーベンの痛いほどの感情が投影されてる。だけど、ドビュッシーは違う。「月」そのものを描写してる。楽譜に明から様な感情は一切書かれていない。物語性は、演奏者と聞き手に委ねられている。

 

 

そして極限状態だったにもかかわらず、好きな音楽を脳内再生してた祖父・・・

 

私も想像して、もちろんその想像は祖父の体験した現実には遠く及ばないだろうが、なんとも祖父らしいな、と。

この話を始めて母から聞いた中学生当時の自分にも、深く、それなりに深く、心に刺さった。

 

だってね、

今夜こそはダメか、と何度も思ったんだって。

ソ連兵が毎晩のようにやってきて、拳銃を突きつけながら『女を出せ』と。ある晩はどうしようもなく、その日に亡くなった子供の亡骸を前に、祖父は手を合わせ、ただただ、子供の亡骸を前に「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏...」と拝んだと。殺される覚悟で。

そうしたら、ソ連兵も諦めたのか、その場を去ったんだって。

 

生米しか出されないという状況の中、子供は皆死んだ、と。

祖父自身も、もう一冬は越せなかったろう、と。

 

だけど、ソ連兵が行進しながら歌う軍歌がまた美声で上手で。祖父はその軍歌を覚えてしまって、それを戦後聞かされて覚えた母は、幼い私にもよく歌って聞かせてくれた。

 

・・・残虐性と芸術性って、なんとも言えない。

 

人間は複雑だ。

 

 

 

 それはさておき、

私がドビュッシーを好きになったきっかけはまぎれもなく、この祖父に由来している。

たくさんのレコードを持っていたし。おかげで私が初めて「子供の領分」を聴いたのも幼稚園生の頃だし。CDの時代になったらなったで、新しもの好きだった祖父はすぐCDプレーヤーも購入してた。いわゆる文化人だったんだと思う。

その祖父も戦後に起こした事業は失敗続きで、母も金銭苦で大学には進学していない。

 

若い頃、慶応ボーイだった当時の祖父は、東大の教室の机の上を全裸で行進したり、また浅草でも随分と遊んでいたらしく。その記憶が鮮明だったのかなんだか、

「ベアトリねーちゃんまだ寝んね〜♪」と歌いながら酔っ払って帰ってくる祖父が恥ずかしかった、と母はいう。浅草オペラ - Wikipedia

 

とても素敵な人柄だった一方で、世間知らずな面はあったのかもな、と想像する。

 

戦中、母の一家は長野に疎開してたらしいが、代々木上原にあった邸宅は空襲の混乱で人の手に渡ってしまったらしい。当時はとにかく混乱期だったから、勝手に表札を立てられ、帰ってこなければそのままその人のものになってしまったのだとか。現代では信じ難いが、当時、そういうのは本当にたくさんあったらしい。

 

母の私にはない天然さ、よくえいば品の良さ、悪く言えばしょうもないほどの世間知らずなところは、その育ちにあるんだな、と大いに思う。

まったくもう!て思う反面、羨ましくもある。

 

そして祖父は、私の中では多分、ある意味一つの理想の男性像というか、素敵なお爺様だったと思う。

 

そして何より、まっすぐな人だった。

 

そう思う。

 

 

一緒に音楽を聴きたい。

 

 

 

乾燥した空気の中に浮かぶ満月を見ると、いつも思い出す。

 

 

『涙が止まらなかった』

 

なんに対して?...だろう、と。

 

 

ドビュッシー:ピアノ名曲集

ドビュッシー:ピアノ名曲集

 

コバエ退治にはビール(ノンアルでok)が良い!![当社比]

小蝿、ほんと嫌だーっ!この季節。

気をつけてるつもりでも、生ゴミの香りが少しでもあろうものならすぐ集る!!!

まったくもうっ!!!

 

で、

市販のコバエ取り、虫除け、虫○○ーズとか色々とね、、、あるけど。私もかつては購入してたけど。

 

意外とダメじゃね!???

 

ってなわけで、

昨年から「手作りの虫除け」、をネットで調べたりして試行錯誤してきました。

で、

結果として、既製品よりよほど効果があります!!ありますとも!!!!

 

昨年はこちらのサイトを参考にペットボドルで作ってたんだけど

matome.naver.jp

今年、別に形状関係なくね??て思いついて、面倒臭いんでonecupとかの残った瓶を再利用する形でよりズボラに、コバエ取りを作ってみました。

それで、形状はどうも関係ないことがわかったんだけど

それ以上に!!!!

誘引剤、要するに「めんつゆ」が効くのは本当なのか?いや「ビール」のが効くのでは??

というね、より効果的な誘引物質を確かめるべく、

同じ日に、「希釈しためんつゆ+酢」と「ノンアルコールビールの残り」とをね、並べておいてみたんですお!!!後、もう一個、昨年から部屋に置きっぱの既製品のコバエ取り「蛙田 捕太郎」さんもね!!!

 

その結果がこちら・・・

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左から、ノンアルビールの残り(1晩:49匹)、めんつゆ(1晩:0匹)、捕太郎氏(1年:15匹)

 

どうよ!!結果すごい差でしょ!!!

コバエって、断然、ビール好き(ノンアルだけど)!!!!

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まぁ、なんというか、ショウジョウバエをラボで飼育してた人なら、ピンと来るんですかね。酵母の匂い〜そりゃぁ好きよん彼らnn♪的な(<?)

ホンモノのビールは割高だし、もったいないと思うでしょうけど、ノンアルビールは1缶100円前後で買えます。今回私が使ったのなんか88円のやつだし。

ちょっと不味い、いや飲み飽きたかなぁ、てなった残りに洗剤を1滴っ!

これだけでいいのです!!!

 

ドラッグストアで売ってるコバエ取りって、500円前後しますよね?その割に、どうでしょう???正直いって、私が試した限りでは、既製品のどのタイプより、手作り品の方がコバエ退治には効きます。

 

原価も安い上に、手間はかかりません。

 

あとね、発生させない!て事前の対策として、コバエのみならずG除けにも効くのが、ハッカ油!!!

これも、既製の虫除け商品よりずっーと安くしかも効き目もヨーーーックってよ!奥様っ!

水道水にハッカ油を数滴垂らして1〜5%程度の希釈水を作ってね、シュシュっとするとですね、寄ってきません!どなたも!!

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実はね、この夏、ワタクシ、...大型のGの侵入を許しまして(黒光りの烈しいお方です)。一度ね、壁を這われてね・・・、飛ばれたのだー!!!・・・大ショックだったわ。『ギャーーーーッ!!̑̑દ=๑๑( ੭ ε:)੭ु⁾⁾』って寝室に逃げ込んで、ペットの蛙たちに、助けを求めたけど、無駄だった....

それから、ハッカ油を愛用してます。忌避物質としてかなり効果があるみたいだし、何より人体に害がないゆえ、ペットや子供がいる家庭で使い勝手が良いと思います。

食卓にコバエを寄せ付けたくなければシュシュッってやって布巾でさっと拭けば、ほんとに来ません。オススメです。

 

以上!生活の知恵でした!!

 

よければどうぞ、お試しください。

 

 

置き型タイプ コバエとり コバエ捕獲課 主任 蛙田捕太郎(かえるだとったろう)

置き型タイプ コバエとり コバエ捕獲課 主任 蛙田捕太郎(かえるだとったろう)

 
蛙田よけ太郎 7ml×2個

蛙田よけ太郎 7ml×2個

 

 

耳下腺が腫れた。

あわわゎゎ・・・!

今年2回目だわ。反復性耳下腺炎!?てやつかしら。

深夜過ぎか明け方ごろに「んン!?」て違和感が既にあった。左の耳の下が膨らんでる!というね。

けっこう痛い。完全に口を開ける気が失せる。

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とりあえず午前中は寝てみた。

昼過ぎ、痛みはそれほどでなくなった。

 

 

この症状は、中高生の時も数回経験してて、その度「おたふく?」と周りにも疑われた。家族の間でも、私はおたふく風邪になっていない、という認識だったから(その後の血液検査で罹患済みとわかった)。というか、私は色白丸顔なので、よく『慢性おたふく』と上の兄弟からからかわれてた。今思うとひどい話だ。ちょっと腫れてても元々丸いのでわかりにくい!という扱い。悲劇的すぎる・・・

 

ま、とにかく、おたふく風邪ではなく、耳下腺炎ね。

細菌性みたいだけど、多分、虫歯菌とか、耳下腺に侵入しやすいその辺の小さいお友達(細菌さん)が炎症を起こしてるんだと思う。免疫力が落ちてるんでしょう。

 

よくあることよくあること。

 

でも見事に腫れてると外でたくないよね!

逆にいつもと変わらないじゃん、とか誰もなんとも思わないのも悲しい。どんだけ丸顔認識なのだと・・・。

実際はそんな丸顔ではないんですけどね。童顔と言われることもあるけど、それも違うし。

卵型だし大人顔です。少なくとも自分はそう思ってる。

 

耳下腺炎はおたふく風邪みたいに高熱も出ないし、2、3日で回復してしまうから、病院行くほどでもない。まぁ大したこたぁない、ちょっとカエルにキッスするのを控えて、おとなしくしてりゃいいんだけど。

 

何が不便って、口があんま開かない。

 

あと

中年のくせに、耳下腺炎って何してんだ?子供の病気だろー!

て話もあるのだけど、大人でもなるみたい。ここになってる大人が一人いるし。

あゝまぁ、大人になるのに失敗した人、といえばそうか。そうかもしれぬ・・・

 

反復性耳下腺炎の大きいお友達、いないかな♪

あぁぁ...論文やんなきゃ。

いつまでもダラダラやってないでやることやれよー!自分!!!

 

論文が査読から帰ってきたから、対応しないとーー!!うげぇxwxw!!

再投稿してイイよ、ていうのにちゃんと応えないのいけないぞー!

 

厳しくともたくさんコメントあると、すごくありがたいなぁ、と思う。

正直、私より深く理解してくれてるのではないかと思えるものもある。

海の向こうのレビュアーに感謝!(<ボランティアですからね。)

 

というか、私理解してんのかな?自分で書いておいて。自分のやったこと。

そんなこと言ったら怒られちゃうけど(笑)

 

今までの論文もそれなりに面倒だったけど、

今回はそもそも、データをまとめて1本にの論文にするのが本当に難しかったし。背景や主張から、内容が玄人向けで議論を呼びやすいというか、、、ヒィィって感じで

 

頭痛い・・・

夏バテ脳では対処できないわー・・・

 

内容自体は博士課程の時の実験内容だから、ほんと早くオサラバしたいんだけど。

 

問題提起というか、この課題は続くんだよねー・・・

ライフワークだろう。

 

 

元々は、進化はまだしも行動関連はあまりやりたくなかった。というか、興味はとても強いが、

自分には向いてないと思った。いや今でも思ってる。向いてないよな、て。

 

必ずこの問題、科学的整合性が低い、因果関係がわからないという問題で、自分は苦しむだろう、てわかってたから。

そしてそれを払拭できるほどの賢さは、自分にはないと思うから。

 

アホなのに、無理して複雑系の現象を扱ってるの。自己責任とはいえ、ほんと辛い。

アホだけどやれてるっていうのも分野バカにしてるみたいで嫌だが。

 

ただ創造性を活かせる、て意味ではいい分野だと思う。

 

そういう意味では、「どうじゃ!真似できんだろうッ!」という自負がちょっともてる美味しさはある。

 

 

マクロはまだまだブルーオーシャンだよ、ていうことは、近い将来伝えられたらいいんだけどねー・・・。

 

まぁ、挫折に終わったとしても、

私の屍を越えていってくれればいいわけだし(笑)

 

も少し気楽に構えるか!

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カンノンノ・クマ・カッカ・タマルウンタ

どう、書き出したらいいだろう・・・?

私の思い出の愛犬クマ。正式名は「カンノンノ・クマ・カッカ・タマルウンタ」。犬種はチャウチャウ。享年8歳半。

あの子は、私の犬に対する恐怖を取り除き、犬大好き狂い人間に変えた。最高の相棒であり、兄弟であり、、、

 

家族だった。

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私は物心ついた時から、常に動物がいる環境で育った。特に犬は、当然のように飼っていたので、「犬のいない生活」というのは30代で一人暮らしをするまで味わったことがなかった。

といっても、最初に自分が責任を持って飼ったのはハムスターであり、飼い犬=相棒、と言う感覚は、表題にある「クマ」と小学5年生で出会うまでは、抱いたことはなかった。

ちょうど小学4年生の時だったろうか、家にも柴犬の「ドンちゃん」という非常に賢い素晴らしい愛犬がいて、私自身、動物が大好きな少女だったのだけど、若干過信があったのか、友人の犬に噛まれたことがあった。

その傷はそれなりに深く、外科で2針縫った。噛みついた犬に対しては全く恨みはないのだけど、それまで無邪気なほど犬に対して警戒心がなかった自分は、この事件を機に、どうしようもないほど、犬が怖くなってしまった。

可愛いのだけど、体が怖がってしまうのだ。

道ですれ違うだけで、怖くて避けてしまった。

自分自身、悲しかった。動物が好きなのに、体が生理的に避けてしまう。信用してた相手に裏切られたような感覚として、「恐怖」が体に染み付いてしまったのだ。

私に噛みついた友人の犬は、ちょっと欲求不満で、情緒に問題があったので、本当にその子には一編も責任がないから、余計に辛かった。私もちろんその犬に責任など追求する気もなく、ただ沈黙していた。治療も縫ったとはいえ、大したことでもなく、すぐ回復したので。

 

そんな複雑な心持ちの頃、名犬(といっても差し支えないほどのいい犬だった)ドンちゃんが、早逝した。

それから1年、家族は犬のいない生活にだんだん耐えられなくなり、新しい愛犬を迎えたいと思うようになった。

そうして迎えたのが、表題にあるチャウチャウのクマちゃんだ。

チャウチャウという犬種を飼いたがったのはまぎれもない父なのだが、全くもって、チャウチャウという犬種は素人には難しすぎる、とても難儀な犬種だった。

あの頃は家族総出で世話できたからこそ、なんとかなったが。今思うと、チャウチャウはもう二度と飼えないと思う。あんな無茶苦茶な奴は、一人暮らしで飼うのは不可能だろうし。何より、猛暑が当たり前になった今日の東京では、たとえ一戸建ての家族住まいであっても、もう飼うことはできないだろう。室内飼いという手もあるけど、それを可能にするほどの条件を整えられるほどの経済的な余裕は、なかなかハードル高い。そもそも、大型犬というだけでも簡単ではないのに。あの気難しい犬種を、よくもまぁ飼ったと思う。あきれてしまう。

だけど、やはりクマは、自分史に燦然と輝く、最高の友だ。あの子は、私の一部だ。今も変わらず愛してる。

 

犬との絆は、経験したものなら誰しも思うだろう、その一つ一つが、永遠の宝だと。

 

 

チャウチャウは中国産の犬。その性格は、犬種図鑑にもあるように、「犬」というより「猫」的。

ぬいぐるみのような容姿。確かにそうだが、クマに至っては、どうしようのなくブサイクで(笑)、いうことも聞かず、プライドだけは高い。非常に扱いにくかった。

だけど、同時に本当に面白い子で、みんなに愛された。

小学校の同級生に『お前、ライオン飼ってんのか!?』てからかわれたことも懐かしい記憶。確かに、見た目はちょっとライオンっぽい。

 

大型犬(正確には中型犬の範疇だが日本だと大型犬の認識になる)で、気難しい犬種であることから、私たち家族だけでの「躾」が心配になり、専門の訓練士に訓練してもらうことを検討した。問い合わせると、チャウチャウを扱える訓練士の人が、クマを見に来てくれた。

訓練士の男性がやってくると、クマはものすごい警戒してその人に向かって吠えまくっていた。もう、全く懐きそうにない感じで・・・。訓練士の方には「これは良い犬」と褒められたけど、同時に、前足が悪いことが判明した。この足だと訓練してもショーに出せるような犬にはなれないし、家族で可愛がってあげれば良いのでは?と言われた。訓練するとなると、2ヶ月預けることになるとも。私は、クマと離れるのが嫌で嫌で、預けたくない!と主張してもいた。家族で話し合った結果、足が悪いことも考慮され、そこまでしなくても良いのではないかという結論に至り、専門の訓練士の人に預けてまで訓練することは、結局辞めになった。

 

そうして、厳しい訓練も免れたクマは、うちの人間に甘やかされながらも愛されて、スクスクと成長していった。

また訓練士からの指導で、チャウチャウという犬種はその形態から、耳だれ、目やにが多く、特にまつ毛が目を刺激することから、多くは歳をとると失明する運命にあることを教えられた。予防として耳掃除と目やにの掃除を欠かさずすることを習い、私たちは実践した。

また長毛種で毛玉も出来やすく、ブラッシングも大変だった。特に顔の、顎の下の毛はヨダレがすごいことも相まって、油断するとすぐカピカピに固まってしまう。母が中心になってブラッシングをしたが、もう一仕事。ブラッシングするたびに、スーパーのビニール袋がいっぱいになるほど、毛が取れた。

トリミングして毛を刈る、という選択もあったのだけど、これをすると今度は蚊に刺されやすくなったり、短くしたからといって涼しくなるというわけでもないらしく(はっきり言えばこの手の"美容"は全て飼い主のファッション嗜好でペットは望んでいない)、大人しく刈られるとはいえないクマを連れて行くこともできず、自宅でのブラッシングとちょっとした毛のカットで済ましていた。

 

毎日の散歩は、私や兄が請け負っていたのだが、何しろ大型犬で運動量も多いので、30分以上、最低1時間前後はかかった。片道1km以上を往復する。それでもまだ歩き足りないのか、クマはまだ帰りたくない!という意思表示なのか、横断歩道であろうが御構い無しに、ドテーーーーン!!!と伏せてしまうことがあった。

私たち兄弟はその度に参ったけど、とにかく引っ張っていうことを聞かせて、自宅まで連れ帰った。自宅の中庭はクマの領土で、大きな犬舎がクマの寝床。窓からいつでも覗ける位置に置いてあるので、クマの姿は逐一確認できた。クマは誇らしげに、番犬として活躍していた。

 

そのクマも6歳を過ぎた頃から、少しづつ老いが見え始めた。時々、前足を引きずるようになった。若い頃ほど運動せず、たくさん歩くと疲れるのか、小屋に着く前に、ドテーーーン!!と伏せて寝転んでしまう。7歳頃には、どうやら訓練士の予言通り、ほとんど失明してしまったようだった。

 

その頃、私は不思議な夢を見た。

クマが出て来て、喋るのだ。

『僕ね、目が見えなくなっちゃったんだ。。。』

その頃クマは、柱や壁に、時々頭をぶつけるようになってた。それでなんとなく、目がだいぶ悪いことはわかってた。

そんな気持ちが、私にそんな夢を見せたのだろうと思う。

 

高校生になっていた私は、夜になると、クマのいる中庭に出て、クマと話して、悪い方の前足を摩ってやった。ブヒー!ブヒーーーぃぃ!(鼻が低いのでどうしてもこういう声を出す)と気持ち良さそうな声を出すクマ。面白いのが、脇の下あたりをさすってやってると、後ろ足が痙攣のように反応するんだけど、もう気持ち良さそうにますますブヒーーーー!!という。

私が立ち上がって星空を眺めてると、クマはそのうちさみしくなるらしく、クーンクーーンん!!!と騒ぎ出す。

そうか、くっついてないと淋しいんだね、と。私はまたクマに寄り添って、飽きるまで摩ってあげた。

 

若い頃は、こんな風に甘えてはこなかったプライドの高いクマも、年老いて目が悪くなると、驚くほど甘ったれになった。

 

・・・私のことなんて、ションベンくせえガキ的に、子供扱いしてたくせに。

 

そう、クマは若い女性、年頃の女性が好きで好きで。。。獣医師のことはものすごい警戒して注射一つさせるのに大変だったというのに、看護士の女性にはクンクン甘えてスカートの下に潜り込んだり(あれは確信犯だと兄が怒ってた)、ほとんど世話をしてない姉がなぜが大好きでブヒブヒ!と言いながらヨダレをつけまくったり、散歩途中でも男性には全く愛想がないのに若い女性にはブヒブヒ!と愛想を振りまいて「かわいい❤️」のお声を頂戴するのが大好きだったりと(なぜか俺がかわいいと思う方の女の子に行くとも兄が言っていた)、、、、もう、あからさまな男女差別をしてたゲス犬だったのだが、、、

年月が、二人の関係性を変えたようだった。

 

 

 

クマが8歳になった1994年の夏は、とても暑く、その後断続的に始まる酷暑の始まりのような、記録的猛暑だった。

 

熱中症を拗らせてしまったのか、その夜の「ワンワンワン!」という声に、私は自分が呼ばれてるような気がして二階の自分の部屋から急いで駆け下りて、クマの元に駆け寄った。

 

苦しそうなクマに、氷をあげたりする程度のことしかできなかった。

 

人間なら、手を握り合う、というのだろうか、

私は、息が途絶えるまで、クマの手を握っていた。

 

その瞬間は、忘れることができない。

生涯初めて味わった、「死」の瞬間だった。

 

 

 

大型犬は小型犬より短命なのは、犬好きの間では知られたことだけど、

やはり、

寂しかった。辛かった。

 

 

そのあと私は、初めて「ペットロス」というのを味わった。

 

しばらくの間、本当に、何も感じなくなってしまった。

 

 

クマは、私から「犬は噛むから怖い」という意識を吹き飛ばし、犬にも個性があること、語り合えること、友達以上になれること、いろんなことを、身をもって教えてくれた。

 

チャウチャウは中国語で「ごちそう」という意味だとか。

 

食用犬だった時代があったらしい。

 

人間の都合で、ブリーディングして作った犬種なのだろう。

 

私はクマが可愛すぎて、大好きすぎて、小学校で、クマが主人公の漫画を描いていた。

休み時間に友達に見せて、それで漫画が上手い子、という地位をクラスの中で確立できたと思う。

 

 

どうして犬って、犬になったんだろう?

 

オオカミでいた方が、幸せだったんじゃないかって。

 

なんで人間の側についたの?

 

 

 

時々悲しくて仕方なくなる。

 

何をすれば、彼らに恩返しができるのだろうか?

度々、自分に問う。

 

 

 

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一日盆。the Bon in Aug. 1.

そういえば、実家の盆は7/31、8/1、8/2日に行われ、東京盆、旧盆に対して、一日盆(ついたちぼん)と呼ばれてる。

実家は調布市上石原というとこなのだけど、一日盆は全国的に見てもレアらしい。

でもこの地域は殆どがこの一日盆だ。由来は養蚕農家が多かったから、らしい。

旧盆も東京盆も忙しい時期に当たるから、ずらしたのだと。

 

ただ、一日盆を採用していない檀家さんもおられるので、お寺的にはお盆は東京盆(7/15)、一日盆、旧盆(8/15)と3回あるのだが、やはり一日盆が大半を占める。

 

子供の頃は当たり前だったので、これが珍しいという感覚もなかった。

そういえば、「お蚕様」って呼んでたわ。

小学校の頃、4つ上の兄の学校の課題か何かで、夏休みに蚕をを飼育した思い出がある。あれも今思うと、地域限定の課題だったのだろうか?

境内に1本桑の木があり、その葉を採ってきては蚕に与えた。どんどんどんどん成長して、やがて繭を作り出す。真っ白で綺麗な繭。

実習としてはそこで終了で、繭の状態で冷凍庫に保存した覚えがある。あれはなかなか、面白かった。あとなんか、ウンコが印象的だった。黒くて、どこかで見たことがあるような?そう、こんな薬あったよなぁ、的な。

 

「一日盆」でググると、いくつか情報があったが、どうも多摩地区の一部のみのかなりローカルな習慣なよう。

八王子や小金井市にも残ってるようだけど、調布市って、名前の由来が「租庸調」の「調」(税金として布を納めていた)ともいわれてるし、養蚕業も連想しやすい。

 

そして多摩といえば多摩川

万葉集にも、

 

多摩川にさらす手作りさらさらに 何そこの児のここだかなしき (作者不明)

 

という歌がありますしね。

これ「さらす布」というのは、手つくりの布、調布、と考えらえているらしい。

とまぁにわか知識で書いちゃったけど、センター試験で古典0点という輝かしい記録を残した自分にはそれ以上掘り下げることができまへんw

 

実際に現役の養蚕農家さんって私も知らないし、すでに廃れたんでしょうが、習慣として「一日盆」は地元に残ってるのでしょう。

 

あとお盆て言うとナスとキュウリのお馬さん。これは全国的に鉄板な習慣みたいだど、もっといい車に乗りたい、てご先祖はいないのかな?て時々思う。

 

私は多分、ヒキガエルの背中に乗ってくるわ。

それと、家に帰る前にコンビニに寄りたいかな。

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さよならクー介、クー子、シズ男、、、

この前クー介の事を書いたばかりだけど、 クー介はじめクー子とシズ男も、みんな還した。

つまり、フィールドにリリースした。

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(手前からクー介、クー子、シズ男)

ちょうど今日は雨で気温も低く、彼らを移動させるのにストレスも少ないし、

やっぱり、大人6匹に子供4匹の世話はたいへん。

私は夏バテになったりと、ちょくちょく疲れてしまうから、世話が行き届かないのはマズイなぁ、と。

 

しかも、彼らの元いた場所って、もともと実家。

 

だから、

「実家に帰らせていただきます。」

ってね。

 

湘南新宿ラインを、ゆらゆらゆらゆら……

膝の上のクー介は時々鳴いたけど、小さな声なので、誰も気がつかなかった。

 

カエルをこっそり電車に載せるの、もう慣れっこ。 これまでも、新幹線とか特急にも載せてきた。

まぁ、気がつかれない事!

 

みんな無関心なんだよね。

いえ、時々なんかいるのか?て顔で覗かれた事あるけど。

 

まさかヒキガエルがいるとは思うまい!!!

 

今日なんか、新宿からは京王線女性専用車両に!!

堂々と載ってきましたさ!!!

 

まさかヒキガエルを連れた女とはわかるまい!!!!

 

さて。

実家の寺に到着。

 

こっそり境内に彼らを離す。

 

じゃあね!元気でね!て挨拶した後、 他にお友達(他の個体)いないかなぁと、小雨の中を30mくらい歩くと、

発見!

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なかなか立派な体格。

 

クー介達も、またこの街で元気に暮らしてほしい。

 

短い間だったけど、 色々ありがとね!

 

 

また来年、池で会おうね!待ってるよ!