Madam_toad’s blog

カエルを材料に進化生態学の研究をしている変わり者の独り言です。

夏バテのようじゃ・・・

夏ーのげんきなご挨拶〜♪f:id:Madam_toad:20170724220235j:plain

この写真、Instagramにもupしたけど。

 

そうそう、私、あまり目立ちたくないんです。なので他のSNS垢や自分の個人情報などを安易にリンクすることは、今のところ考えてないです。

ならブログすんなだけど。

 

だってこんなん、、、

本業どしたん?てツッこまれても困るし……。

 

 

 

ところで、

 

夏バテしてます。

 

 

ダルいざます!!!

自分は「内向型」なのじゃ!!!

人には「外向型」と「内向型」があって、きっちり分けられるものではないけど、大抵の人はどちらかの傾向が強く、大半の人(75%くらい)は、「外向型」なんだってね。

 

いろんなサイトで紹介してるので、割愛するけど。要するに、

・人と会うことでエネルギーを充電する人→「外向型」

・人と会うことでエネルギーを消費する人→「内向型」

[性格診断] あなたは外向的?内向的? | vonvon

 

というわけで、どうやら自分は「内向型」にあたるようです。

もちろんキッチリ二分できるわけではないし、私にも「外向型」の気質はある(ちな上に貼り付けた[性格診断]では100%内向だった)。

ただ、内向型と言える要素の方が強い。これは間違いないです。人と会ったらその倍の時間は一人で過ごさないと、ダメなタイプ。ここで紹介されてる漫画にも、とても共感します↓

rocketnews24.com

休みの日に一日家で過ごす、という選択肢が考えられない人が多いというのには、衝撃を受けた。

頭疲れないの?と。

じゃなくて、逆なんですね。多くの人には。一人で過ごすとか耐えられない、逆に疲れてしまうわけですな。

 

・・・へぇ。<("A")>

 

自分が人嫌いなのか悩んだりしたけど、そんな気にすることでもないのか。

どうして自分てこんななんだろう、とか、どうして理解者がいないんだろう、とか、どうしてリア充ってあんなgajぎおあ()

 

色々悩んじゃったし。これでも結構辛かったのだけど。

自分がオカシイ、てわけでもなく、自分はそういうタイプなだけ、で。

少数派だから理解者が乏しかったりするだけで、間違ってるとか良くないとか、そういう風に悪く捉えなくてもいいんだ。

 

そう気がつかせてもらえて、良かった。

 

因みに、「内向型・外向型」の提唱者はユングだそうだけど、名前は昔から知ってるわりに、ちゃんと勉強したことはなかった。大学の教養科目としての心理学・認知科学は履修してるけど、詳しく扱ってはいなかったと思う。そもそも学んた内容、ほぼ忘れてるし。

で、以前から興味はあったので、実は去年のちょうど今ぐらいに、始めてユングの本『自我と無意識』を読んだ。

 

すごく面白かった。というかもう、びっくりした。

こういう人を、天才というのだろう!、て。

 

フロイトより読みやすいみたいだし、最近流行ってるアドラーより、日本人向きではないでしょうかね。

アドラーちゃんと読んだことないけど。言説だけはいたるとこで引用されてて、いろんなとこに落ちてるじゃないですか。あれはロジカルでわかりやすいし、日常的にもかなり役にたつ、と思う。

 

ただ、もっと深く、心とはなんだろう、意識とはなんだろう、みたいな問いと向きあってみたいて思う人には、ユングは美味しい、実に味わい深い!

まぁちょっと、イッちゃってる感じも無きにしも非ずだけど。その境界あたりのウヨウヨ感がね、またね、天才を感じさせる。

アァァ....、こりゃ彼にしか到達できなかったろうな、ていう。

 

その後いろいろお弟子さんや(日本人の河合隼雄さんは有名)影響受けた方がユング心理学を発展させてるようで、内向型にはさらに4つのタイプがあるらしいけど。

その辺になると、ますますそんな簡単にカテゴライズできんだろwて感もあり、自分がどこにいるのか、よーわからんです。

karapaia.com

しかしまぁなんていうか、

無茶苦茶頭イイ人って、昔からいるんですよね。そりゃそうだけど(笑)。

まぁ人類の知の限界、てのはだいたいこの辺なんだろうなぁーて、度々思う。

自分がこれまでで、頭良すぎてヤバいなこいつw、て思ったのの筆頭かな?は、ショーペンハウアーだけど。時々、思い出したように読むのだけど。まだちっとも読み終わらんわ(笑)

アルトゥル・ショーペンハウアー - Wikipedia

 

ユング心理学は、まだ解き明かされてない「意識」という「謎」がね。好奇心をくすぐり続けるし。「集合的無意識」とかね。自分的には堪らんです!

まだ自然科学ではなかなか記述できない領域なのだけど、確かに存在する何か、を教えてくれる。

しかし人物的には問題のある人でもあったようで(患者との関係とか)、まぁその辺も天才あるある、なんだけど。

 いえ距離を置いて見てれば、そういう問題のある人でもいいんじゃない?とか言えるけど、同時代に生きてて、もし知り合えることができていたら、私きっとこの人嫌いだったろう、て思う。

 

ま、人間そんなもんですよ。

 

逆に現代で、今の自分が読んで、良かったと思ってる。なんていうか、読むべき時に読めた。なので収穫が大きかったですわ。

 

 

さて。

いずれにしても、社交にしろ、読書にしろ、婚活にしろ自分磨きだなんだにしろ、衣食住を揃えられたからの話、なわけで。

 「内向型・外向型」についても、衣食住を揃えられた後、その次のステージで関わる問題だと思う。

 

現代人って、結局「暇」だから、いろんな問題を作り出してしまうんでしょう。

 

でも、「暇」って素晴らしいよ。絵を描いたり、音楽を奏でたり。「遊べる」ってすごい。幸せな動物だよ。

 

少数派で何かと生きづらい「内向型」だって、考えようによっちゃ、これほど幸せな人間はいないでしょうよ。「一人の時間を楽しめる」なんて。

孤独な時間を、それを自身の思考を深める時間として楽しめるとか、何か創作に没頭できる、てすごいことですよ。

 

しかも現代は、わざわざ出向かなくても、ネットで人と繋がれるしね。必要最低限の社交は、結構ネットで満たされてしまう。内向型を活かしやすい時代、とも言えるかも。

 

そう。

SNSなんかも、私はTwitter好きで、最近は軽い気持ちで楽しめるInstagramもやってるけど、どーもやはりFacebookは合わないんですな。

 

てか、Facebookって、「外向型人間用」SNSでしょ!!!!

 

だって、異様に友達多い人、休日は友達と社交が当たり前な人って、要するに「外向型」でしょ?

 

うわああああああああ!!!!((((< 'A`)>

 

・・・ですわ。

 

 

ネチネチTwitterしてる方が、自分には合ってます。リストで情報収集できるし。呟くときは鍵垢複垢で。仕事に響かんようにな(響いてる可能性大きいけどw)。

 

根暗だからね。人と交わりたいけど交わりたくない、的な。

 

基本、私がSNSでしたいのって、「ヤサグレ」だからね。

 

自分演出したって、バカみたいやん。

弱いものは弱いし。ダメなときはダメだし。出来が悪い自分をそうでないように装うことなんかできない。

 

 

いや私、やっぱ「内向型人間」でよかったと思う。

 

もっと、人付き合い悪くしてくわ。いっそどんどん捻くれて。。。

 

どんどんどんどんd!!!!

 

 

いよいよ誰か恨めしくなったら、youtubeで抗議するとかね。

 

ゲー、面倒臭っ。

私、人にそんな興味ないから。そこまで頑張れる自信ないや。

訴訟にしろ、殺人にしろ、よくずっと恨めるなぁ、と。そのエネルギーを尊敬しちゃう。

腹がたっても、美味しいもの食べると、だいたい忘れちゃう。

絶対忘れんぞ!ってくらい凄く腹がたっても、カエルの産卵とか大きなイベントこなしてるうちに、何に対して腹が立ってたのかも、だんだんわからなくなっちゃう。

 

苦手な人と対峙するのって、それだけで疲れるし。面倒臭い。

 

 

 

 

今日も「暇」があれば、自分と向き合っちゃう。

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やっぱり「問い」と向き合うのが、一番楽しい。

 

 

自我と無意識 (レグルス文庫)

自我と無意識 (レグルス文庫)

 

 

孤独だなぁ、と思うとき。

あぁ孤独だなぁ、と思うことは、年々増えたかな、と思う。

 

特に研究しだしてから、完全に増えたと思う。

基本的に、孤独な営みだし、一人でずっと戦ってる、という感じなので。

なかなか理解者はいないし。

そりゃ、発表したり論文出したり説明すれば、それ自体は通じますよね、その中の話は、ある程度は。

 

でも自分が追い求めてることの本当のところ、核のような部分は、誰かと共有できるものでもないから。

 

本当に、孤独な営みだと思う。

 

 

またどんな時により孤独を感じるかというと、一人でいる時よりも誰かといる時の方が感じる。

 

特に当たり障りのない人と世間話とか、仕事上のコミュニケーションでは、孤独なんて感じない。

大勢の中とか。自分以外がワイワイしてると、孤独だなぁ、と感じる。

そして一番キツイのは、わかってもらいたいな、とか、わかってくれるかな、と期待してる相手と会って話して、全然通じてないんだな、て気がついた時。

 

びっくりするほど孤独を感じることがある。

 

ここ数年で一番、ハッとした瞬間、というか、なんて孤独なのだろう自分は、と感じたのは、

2年くらい前かな、母と話していて、「あ、何も通じてないや...」と気がついた瞬間。

あの時は、本当に深い孤独を感じた

 

私、どこかでやっぱり、母には自分を理解してもらい、

そう思って来たのだろうと思う。

 

愚痴を聞いてもらえる、一番ホッとする相手でいてもらいたかったのだろうと思う。

 

この人はもう、私が見えていない、とフと感じた。

 

そのとき、一瞬の永遠があったような感覚に堕ちたのだけど。

 

いや、初めから見えてなかったのかもしれない。

 

むしろ見えてなかったのは、私の方だったのかも。

 

 

博士課程に進んだ後だっただろうか、

『あなたにそんな才能があるのは本当に分からなかったわ。』と母に半分謝られたことがあるのだけど。

それは別に、構わなかった。知ってたし。学校の勉強や進路に関して何か介入されたことは、全くと言っていいほどなかったし。

私は親に『勉強しなさい』、て一度も言われたことないので。

それどころか、『女の子なんだから・・・』と。そういう家だったから。

 

散々悩んで、やっぱり、生物学に興味あるから、理系に進みたい、て打ち分けた時に、『無理でしょ。』としか言わなかった人に、その辺りのことは何も期待してない。

 

それは、その辺のことはもういい。

 

 

だって、自分の意思で頑張って来て、十年前、二十年前の自分と比べたら驚くほど成長したと思うから。自分でも。

知識が増えたことで世界の見方が変わった。白黒からカラーになったくらい変わった。その点においては、すごく幸せに思う。

 

もともと好きだった生き物のことは、もっと好きになったし。

わかってると思ってることも、また分からなくなったし。

 

世界の美しさにいつも感動してる。

 

不思議が尽きない。

 

こういうことが味わえる人生をもらえて、本当に幸せだと思う。

自分で切り開いた、ということにも誇りを持てる。

 

 

でも、同時に、遠くに来てしまったなぁ、と感じることはある。

 

 

人と、

話が合わない。

 

聴き手になってもらえても。同じ感覚を共有できない。

 

それなら、一人でいる方がいいかな。

 

そう思うことが増えたきがする。

 

本当はちゃんと理解してほしい。

 

私はたぶん、共感してほしい、共有したい、という欲が強い方。

 

誰かにわかってもらいたい、ていつも渇望してる。

 

 

同じように、研究してる人なら自分以外にもいっぱいいるわけで、そこでなら話が合うだろう、と思われるかもしれないが、

そう簡単な話でもなく。もちろん、専門的な話ができる、という意味で話が合う方はいる。

だけど、、、なんて言ったらいいか、利害関係がある場合とか、色々と余計に面倒臭いケースもあって…

 

癒しもないし。

 

 

自分勝手な話だけど。

 

 

 

 

遠くに来てしまったなぁ、と思う。

 

同時に、幼い頃の自分に戻ったようにも思う。

一人遊びをしていた日々とか。

 

 

眼に映るのは忙しそうにしてる母の背中。

 

そうだった。

 

そういえば、

私は、いつも一人だった。

 

 

 

でも最近は、自分は孤独なんだ、と受け入れることができるようになってきた。

探究も、創作活動も、一人の時にしかできないので。

どうしても付きまとうことだし。

 

 

以前の自分は、いや未だにか、

相手に通じてないな、と「壁」を感じると、口を閉ざした。

 

でも、個人にこだわるのではなく、どこかの誰かになら、口を閉ざす必要もないだろう。

誰かは、いつかは、受け取ってくれるかもしれないから。

 

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蒲田くんと箱根の温泉♨️

来ちゃった・・・。

突然だけど。

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連休中ずっと、実験データの整理してたら、首肩がカチンカチンに凝ってしまったので。

昨夜急に突然、あ〜なんか、温泉いきてー!てなったので。

 

 

 

 

来ちゃった・・・。

 

 

 

実験データって動画ファイルなんだけど、100超える数の1時間オタマジャクシを撮影したものがあるわけなんですよ。

それを、整理して、フリーソフトに読ませて、ツムツムしながら、twitterしながら、朝から晩まで、昼寝しながら、期間限定イベント海賊お宝探しクリア!しつつ、Instagramしながら、解析し続けてましたの。。。

 

だから、ちょっと休憩〜…!

 

 

 

さて。

 

来た温泉地は箱根の強羅。

久しぶりです。泊まったのは10年ぶりくらいかな?

初めから箱根狙いで来たというより、とりあえず明日泊まれる温泉宿、どこかないかな?と、前の晩「じゃらん」で検索してるうちに、やっぱり箱根だな!と。

ほんとは箱根なら「対星館」に泊まりたいなぁ、と思ったのだけど、じゃらんにもないし、予約取れそうにないというか、贅沢すぎか、と思って断念した。

「対星館」は昔、亡き伯母に連れてってもらった思い出の宿で。最近はどうなったのだろう?とググったら、んンン?… http://www.taiseikan.co.jp/about/ 廃業しちゃったのでしょうか?

あらあらあら…

 

華やかだった伯母とともに、遠い記憶の中か。時の流れとはいえ、少し寂しい。


 

 

 

 

 

とりあえず、今回は、値段と予約状況、サービスなどを考慮して、「あおい荘」という宿にしました。

http://www.jalan.net/yad379496/

で、どんなだったかというと、、、ココで正解でした!

なんてったって、温泉にこの方が!!!

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やっぱり、私はカエルづいてる!!!

 

Bufoooooooooooooo!!!!!!!

 

ここは、珈琲お茶がセルフで無料なのと、マッサージチェアも無料で使えるのが良いです。あと、浴衣も貸し出してて柄もサイズも豊富。

登山鉄道の強羅駅から徒歩で10分かからないくらいなので、車待ちでなくとも大丈夫。強羅公園に向かって坂を上らないとなりませぬが。

箱根の中では値段も手頃だけど、ちゃんとした感じの綺麗な宿です。 部屋まで食事持って来てくれるので、一人旅にもオススメ。

 

私は気楽な独身自由業?なので、ふらっと突然旅にでれる。放浪癖があるというか、、、こういうの、楽しいっス。

 

 

 

温泉サイコーっ!♨️キモチィィ!!

 

 

 

 

・・・だが、解析がおわったわけではなかった!帰ったら待っているっ!!

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明日からまた、頑張りまーーッス。

人付き合いがどんどん苦手になってる件。

やばいくらい面倒臭い。

 

ヒトが嫌い、というより人付き合いが嫌い。

会話さえ疲れる、て時もある。

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とにかく、社会に溶け込むのが自分にとって難しい。

というか、疲れる。

 

多分、リアルで私を知る人で、私がそう思ってると気づいてる人はほとんどいないと思う。おそらく0に近いんじゃ。

なぜかというと、自分は普段、愛想がいいというか、よく喋るし、飲み会などでは、どちらかと言えば常に盛り上げ役な方だから。

 

もともと話題豊富だし。面白い、ともしょっちゅう言われる。

 

ただそれに慣れすぎてる、というか、サービスしないといけない、て強迫観念ができてしまってる面はあるかもしれない。常に、何か面白いこと言わなきゃ、みたいな。お笑い芸人でもないのに。

 

たぶんこれは、育った環境による影響も大きいと思う。

子供の頃から、いかに自分に注目してもらうか、というサバイバル?環境にいたので。

 

でも本当の自分は、物事を深くゆっくり考えるのが好きで、空想の世界の住人。

漫画描いたり、工作したりとか、何か創作してる時間がすごく好きで。時間も食事を取るのも忘れて夢中になる、そんなタイプなので。

本来は、集団行動も苦手だし、チームプレイも得意じゃない。まぁ、要するに自分勝手さんなのだ。

 

だけど、本当に人が嫌いなわけではない。

小中高大バイト先含め、友達作りで苦労したことは一度もなかった。

社交性は、見かけ上なら、おそらく高い方だと思う。

人と話すのも、好きな方だった。

 

 

なぜここまで人付き合いが苦手になってしまったのか、自分でもよくわからない。

 

ただ、病気をして大学を休学して、てあたりから流れが変わってしまった感はある。

その後いろんな場面でお断りされたり不都合を感じることが増えてから、社会から疎外されたな、という感覚が強まっていった感じはする。

 

いわゆるリア充、というか、生き方上手な人たちに対する劣等感、これも関係してると思う。

 

それでも、表面的にはうまくその場をやり抜けてきたのだろう。

だから未だに、コミュ障、というレッテルは貼られてないんじゃないかな。

だけど、実際、相当なコミュ障だと思う。

 

変に、気を使いすぎてしまう。

 

それと、変に頭の回転だけは速いので、先が読めてしまって、相手の話を最後まで聞くのが苦痛だったりもする。

だけど、最後まで聞かないと失礼、という神経も同時に働くので、思考にブレーキをかけながら、相手が気を悪くしない返答を、とか、とにかく(きっと間違った方向に)考えすぎてしまって、、、今度はクラッシュして逆に自爆、なんてこともあったり。

 

 

自分に問題があることは、大いに自覚している。

 

できれば改善したい。

 

それでネットで検索してしまったりするのだけど、これ↓すごい自分に当てはまってて、うわぁ・・・ってなった。

omocoro.jp

 

お昼は一人で食べたい。

だけどスマホは見てる。

 

挨拶して一度無視されると、実は結構傷つくので、以降しなくなる派。

 

知らない人は平気。ストレスにならないから。背景みたいな感じだし。

一人旅も好き。旅先で人と話すのは好き。

 

よく道を聞かれるタイプ。

これには全く負担に感じない。急いでる時以外は大歓迎。

 

人助けも好き。その場限りだと負担を感じない。

駅や道端で倒れる人になぜかよく遭遇するので、その都度助けてる。

でも連絡先交換は嫌い。してもしない。されても困る。

 

友達少ない。だけど無理に増やしたいと思わない。

むしろ友達が多い人って、奇妙。

 

 

好き嫌いが強い。

 

これも直さなきゃ、って思ってたんだけど。

それは選択ができることだから、むしろ強みと思っていい、てアドバイスされてから、直さない方向にした。

 

 

 

にしても、

 

この異様に人付き合いが苦手な原因の一つに、

情報が入りすぎる、感受性が強すぎる、という側面が関係してる気がする。

 

どうしてかというと、以前にも少し書いたけど、自分には本当にちょっと敏感すぎるところがあるから。

 

どうも人は、脳に入ってくる情報にしっかりふるいをかける事ができるらしく、つまり、ノイズを徹底的に排除しているらしい。

だけど、いわゆる紙一重系の人や、統合失調症などの人では、どうもそのノイズ排除が、うまくできていないのではないか?という仮説があるらしい。

www.nikkei.com

まぁ全ての情報が入ったら、脳はパンクしてしまうので、フィルターにかけている、というのは真実だろうと思う。

それで、そのフィルター機能がしっかりしてる人と、少し弱いタイプ、非常に弱いタイプ、などの個人差はあるのではないか、と。

 

そして私も、少しこの機能が少し弱い方なのではないか、と感じる。

といっても、自分は別に天才でもなんでもない普通のちょっと神経質な程度だけど。

 

平均的な人より、ややフィルターの機能が弱く、入ってくる情報が多いのではないか?と。

この辺が、精神的ひ弱、ヘタレに関係してる気がしてならない。

言い訳だけど。

 

良くも悪くも、感情の起伏が強いので、厄介なのだ。

 

綺麗な風景を見ただけで、綺麗な音楽を聴いただけで、感動で涙が出てくる事がよくある。

単に年取っただけかもしれないけど。だけど割と昔からそうなので、単なる老化現象、とも言えない気がする。

 

感情が揺さぶられるのって、けっこう疲れるので。

 

度々感じる異常な疲労感も、ここからきてる気がしてならない。

 

 

とにかく、

 

生きづらい。

 

 

 

で、

最近よく思うのだけど、こうしてちょっとネット検索すれば、たくさん出てくるわけだし。

私を含め、人付き合いが苦手、鬱っぽい、それから所謂自称コミュ障の人、本当にマイノリティなの?てくらい、ネットにたくさん生息してるわけじゃないですか。

 

だから、少し世の中が度を越してギスギスしすぎてるんじゃないかな、って。

 

そのせいで、本来もっと適当でいいはずのことに、真面目にちゃんとしなきゃいけない、て思い込んで息苦しくなってる人が増えてるんじゃないかと。

 

人付き合いが苦手、なわけじゃなく、私たちは「自らを苦手に仕向けてしまっている」んだろう、と。

 

では、そういう、実はかなり多そうな私のようなタイプって、

どうしたら幸せになれるんだろう?

 

 

 

 

うむ。

 

わからん。

 

やっぱり、

犬飼いたいな。

 

 

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人ってなんで祈るんだろうね。

人以外に祈る動物って、見たことないなぁ・・・

祈っても祈らなくても、結果は同じような気がするのだけど。

 

祈りが効くことって、本当にあるんだろうか?

 

 

映画「ハクソー・リッジ」を観てきたのだけど、なかなかすごい映画でした。

日本兵の描き方で?な部分があることを除けば、見応えのあるおもしろい作品。特に戦場のシーンは、圧倒的な臨場感ですごい迫力なので、ここだけでも映画館で観る価値があるかも。よくあんな戦闘シーン撮れるなぁ、とビックリしましたわ。地上波では流せなそうだけど。。。

ハクソー・リッジを上がって戦場に入ってくとこは、下手なホラー映画より怖かったっス。めちゃ緊張感あった。このシーン1つとっても戦争映画として一級品と思う。

本当に臨場感がある。逆にありすぎて苦手な人も多そうなくらい。

 

いやぁ、生きててよかったー!て感じましたよ。あんなとこ行きたくねー!!!て。本当に。

 

主人公が、簡単にいうとかなり変人なのだけど。変人ゆえ?に偉業を成し遂げてしまう、という物語。また本筋とはズレるけど、いかにも恋愛下手キャラな雰囲気なのに、えらい美人さんといとも簡単に恋に落ちてあっという間にゴールイン、というのが若干ムムム・・・となった。

 

 

でまぁ、映画は映画で素晴らしい出来だったのだけど、

人類ってほんとう不思議な動物だなぁ、と。。。

 

懲りずに戦争を繰り返すこと、そして同時に信仰を持ってること、この2点は奇妙で仕方ない。

 

特に「信仰」って、なんなんでしょう?

 

他に「祈る」動物、て観たことがないのだけど。なんで何かと祈ってんだ?人類は!!!

 

「宗教」と呼ぶようになると、祈りが儀式化されたり、教えあり〜の祭事あり〜のと、色々な形態を示すようになるけど。

 

そもそもの発端は、「祈り」、でしょうな。

祈る、すなわち、何か望みが叶うように願う、というのは、先のこと、未来のことを「想像する力」がないと出ない行動でしょう。

そうすると、過去現在未来、という時の流れの概念を持つ動物じゃないと、「祈る」って発想も出ないのかなぁ。

 

では信仰を持たない他の動物は、先を予測する、という概念自体がなく、一瞬一瞬の「時」を、ただただ受け入れて生きてるだけなのだろうか?

 

でも社会性がある動物って、犬猫など飼ってればすぐわかることだけど、『待っててね』、て言われたらじっと待ってるし、ご飯の時間もおおよその感覚で覚えてるし、飼い主の帰りをじーっと待ってたりしますからね。

それって、帰ってくるのを期待してる、てことでしょうから、先を予測してるわけで、「未来」の概念があるように思う。

ただ動物たちの場合、未来といっても、想像できるのは、せいぜい数日から数週間程度が限界なのかもしれない。一年先、数年先、という概念は持ってないのかもしれない。

 

予測できる近い未来と、できない遠い未来。実際、その差がなんなのかわからないけど。

 

先がどうなるかわからないから、希望通りの未来が起こるかわからないから、少しでも不安を取り除くために、人は「祈る」のだろう。

 

「大事な人の無事を祈る」、も、その人の未来に介入できない時ほど、人は「祈り」に頼る。

 

では、

その「祈り」が予定された未来を変える、なんてことあるんだろうか?

 

いや「祈り」にそんな力なんてあるはずはなく、単なる気休めにしかならないように思う。

 

だけど、気休めであっても、祈らずにはいられない。

 

願いが叶った時は、それこそ、「祈り」のおかげだ!と思うだろう。

そして一度、「祈りが通じた!」となると、験担ぎだなんだと、また次も祈るのだろう。そうして習慣化され、世代を超えて継承されて、いろんな形の「信仰」が生まれたんだろう。

 

 

人は何か、因果関係を見つけたがる癖がある気がする。

 

なぜその結果となったのか、プロセスや要因が不透明な状況が、脳にとてもストレスなのかもしれない。

 

どこかに「理由」を求めてしまう。

 

「理由」さえわかれば、対策できる(はず)だから。

 

また人間にとって、自分たちの万能感が脅かされることは、基本的に受け入れられないのかもしれない。だから、人知を超えたもの、自然災害、未来の運命、などには「信仰」で対抗するしかなかったのかも。

 

しかしまぁ、祈ることで解決するなら苦労はないよね・・・。

 

 

実際には、「行動」こそが未来を変える。

 

映画の主人公もそう。彼はただ祈るだけじゃなく、その信仰に基づいて、ものすごい行動をしてるのだ。

 

「行動」したから、「結果」がついてきた。

 

「祈り」って、集中力を高める効果にこそ意味があるのかもしれない。

 

ただ、試験に合格したいとか、人を一人でも多く助けたい、なんてのは、行動が伴うことで結果を引き寄せる、と当たり前でわかりやすいけど。

「雨乞い」とかはどうだろう?古典的な祈り行動の典型だと思うが。

または、祈りと隣り合わせの「呪い」とかも。効果あるんだろうか?

 

「祈りが届いた」のか、「努力が実った」のか、どっちかわからなくとも、結果として希望が通ればいいのだろうけど。

天候相手に努力しようがないし、自分以外の相手のことも、幸せも不幸も、祈ろうが祈らなかろうが、変えようがない。そもそも自分とは関係がない。

 

関係できないけど、関係「したい」、という気持ちから、祈らずにはいられないのだろう。

 

そもそも、

祈る、念ずる、・・・そういう行為は、いつからしてたのだろう?

 

 

例えば、

カエルを見てると、時々何を考えてるのかわからないというか、何も考えてないのだろうけど、いやそろそろ雨になるかな?とかそういうことくらいは、ちょっと考えてるように見える。

飼い犬も早く散歩に行きたい、まだかな?まだかな?と、飼い主の動きを見つめながら、よく考えてる思う。

 

つまり結構いろんな動物が、ある程度「こうなってほしい近い未来」を思い描くことができるのではないか?

つまり、現在と未来、という時間の流れの概念を持っているのだと思う。意識せずとも。

 

ただ、人と違って動物は、その通りにならなくても、さほど怒り狂うことはない。

だけども人は、自分の思い通りにならないと、ひどく落ち込んだり、怒り出したりする。

 

・・・そう。人は強欲なのだ。

 

無欲なら「祈る」必要もないだろうから。

だって、どんな未来もただただ受け入れるだけ、でいいはずだもの。希望がなければ絶望もないから。

 

でも強い欲望があるんだよね。こうなってほしい!!!!ていう。。。

 

案外、人はこの欲望を抑えるために、信仰を持つようになったのかも。

 

信仰があれば、自分を納得させらるし、受け入れがたい現実への拒否感からくるストレスや、そこからくる不安からも、逃れられる。

 

そう思うと、ちょっと敬虔な感じからは遠ざかってしまうけど。

 

だけど、人が祈る姿って、とても美しい。

なぜかわからないけど、私は宗教宗派関係なく、人が祈ってる姿の美しさに、普遍性を感じる。

 

他の動物から見たら、あいつら何やってんだ?てくらい、不思議な行動なのかもしれないけど。

 

一心に祈りを捧げる人って、とても力強く感じる。

 

 

 

それで、未来が変わるのかはわからないけど。

 

 

そんな私も、ときどき祈る。

 

 

GREENHOUSE カエルくんオーナメント 祈り 3606-C

GREENHOUSE カエルくんオーナメント 祈り 3606-C

 

プライドは幸せに必要か。

そもそもプライドってなんなんだろう?

 

日本語だと自尊心っていうけど。

自分は価値のある人間だ、て信じてるってことだけど。

だいたい、譲れないもの、があって、負けず嫌い、て感じかなぁ。

要するに頑固ってことかな。

 

プライドが高い人は、勝ってる自分が好き。

 

現状に不満があったとしても、自分はもっと上に行けるはずだ、という信念があるので、それがそのまま向上心になり、努力すると思う。

だから結果として、プライドが高い人は仕事ができる人になって、評価がついてきて社会的地位も高くなる、そういう傾向があるかもしれない。

 

そうすると、人が成長するためには、

プライドの高いことはいいこと、と言える。

 

でも努力してもうまくいかないこと、運がついてこないことや、向いてないことに取り組んでて結果が出ないこと、なんてのも多々あるだろう。

 

プライドの高い人は、負けてる自分が大嫌い。

 

だからプライドの高い人は、負けてる自分を受け入れられず、苦しむことになる。

プライドが邪魔して人に弱みを見せられないから、周りに相談することもせず、抱え込む。なので周りも力になれない。

弱い自分から目を逸らすことで、成長のチャンスを逃してしまい、結果としてなかなか改善しない。

 

そんな悪循環に陥るのって、すごく勿体無いと思う。

 

 

しかし私にはこのパターンはない。

私は「ダメな自分」を開示するのに抵抗がないので、あまりそういうことにはならない。

だから、私はそんなにプライドは高くないのかもしれない。

 

いや、なんと言うか、「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」を実践してるだけなんだけど・・・

 

というか、私は本当は、結構プライドの高いほうだと思う。負けず嫌いなとこもあるし。プロ意識も強い。

ただ、自信が伴わないので、自分のプライドに応えられていない、というのが現実。

負けることにも慣れてしまってて、なんとかしたいって未だに葛藤中。

 

 

 

本題、

ではプライドって、幸せに必要なのか?

 

あったほうがいいのか、ないほうがいいのか?と言う二元論でもないけど。

 

プライド高い人がそのせいで幸せを逃してる、って事例が多い気もする・・・・

 

それと、プライドなのか虚栄心なのか、

ちょっと区別がつかない時もある。

 

プライド=「誇り」というのなら、まずは自分が自分のことをしっかり受け入れてないといけない。

 

なので、プライドが傷つくから嫌だ、というのは。何か違う気がする。

単に、傷つくのが嫌だ、でいい。

 

それに、プライドの高さゆえに相手を傷つけていることって、結構あると思う。

そこまでして守り通した己のプライド、ってなんなんだろう?て話。

 

強い自分は受け入れるが、弱い自分は受け入れない、という状態のプライドの高い人が、相手を傷つけてでも自分を守るとき、

とりあえず本人は傷つかずに済んだのかもしれないが、一方で、弱い自分から抜け出せていない、という問題が残る。

 

そしてそのプライドの高さゆえ、結局は自分自身に納得もいかず、不満を抱えて生き続けることになる。

 

 

そんな誰も幸せにしないプライドなんか、捨てちゃえばいい!

 

 

仮にもし、

もし本当に守りたいものが、譲れないものが、「誇り」があるなら、

やっぱり闘わないと。

 

 

そういうプロセスをしっかり積んできた人の、歴戦のプライドなら、本人もその人に集まってくる人も、きっと幸せにするのだろう。

 

 

 

とまぁ、批判っぽくはなったけど、

プライドの高いことは、基本的にいいことだと思ってる。

 

私はプライドの高い人が好き。

 

頑固かもしれないけど、純粋さもあるし。やっぱりカッコいいと思う。

 

だけど虚栄心の強い人はダメ。

プライドの高さを、人を見下すことで必死に守ってる、という感じが苦手。

 

 

大事なのは、自分の「プライドの高さに見合った強さ」を身につけることなのかもしれないな、て思う。

 

それができないなら、弱いなら、捨ててしまうのがいいと思う。

幸せの邪魔だもの。

 

 

 

まぁ、考えてみれば当然だけど。

幸せかどうかに、プライドの有無は関係ないだろう。

 

だけど、すごくプライドの高い人が、そのプライドを抱えたまま幸せを目指すのは、なかなか茨の道ではなかろうか、て思う。

 

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