Madam_toad’s blog

カエルを材料に進化生態学の研究をしている変わり者の独り言です。

「誰も悪くない社会」をコッソリ目指す。

責任感があるつもりでも、それに押しつぶされたり、

もっと頑張らないといけないのに!と、イライラして自分を責めて

結果なんだかもう疲れた、てありません?

 

私は、よくあります(笑)。

 

逃げちゃダメだ!逃げちゃダメだ!

立て!立つんだージョーじゃなくて私!

ダメだぁ....はぁ、自分はダメな人間だ、と、度々自己嫌悪。
 

精神的に幼いので、いつになっても、解決に向かわない葛藤。

f:id:Madam_toad:20170603162756j:plain

 

ちゃんとしないといけない、て強く意識してる。

 

だけどその、ちゃんとって、=普通てことか?

 

普通なら、普通の大人なら、普通その歳なら、、、

いろんなとこで提示される「普通」。

そこに近づこうと努力しても、なかなか人生うまくいかない。

 

 

最近は「多様性」信仰が盛んというか、

「自分らしくあるべき」、という主張も多いけど、

もちろん、マイノリティ側が意味もなく差別を受けるのは、私も大いに反対の立場だけど。

 

ただ、「個性的=強み」、とは自分はあまり思わない。

そもそも、なんだよ「個性」って(笑)て思えるくらい。

もともと、皆それぞれ違うものだし。

 

「普通」というものは、実際には存在しないと思ってる。

みんなの平均が「普通」という幻想を生んでるだけ、というのが私の考えです。

 

そしてその「平均」の算出には、個性的だとかマイノリティと言われれる人も入っている。

だから、今マイノリティ側にいる(と思ってる)人が集団から抜けたら、

平均はまた「違った顔」を出すでしょう。

(というか、中央値とか分散も気にすべきと思う。)

 

あくまで自分の考えというか、経験上の感覚だけど、

多様性云々というのは、大切だから保護しよう、などというものでなく、

特別でもない、そもそも「あって当たり前」のものと思ってる。

 

 

で、改めて、

ちゃんとする、てなんだろう?

大人なんだから、自分に責任を持たなきゃならない。

 

わかる。

 

けど私は、好きでこんな「私」になったわけでもない。

選んでなった、というわけではない。

 

もっというと、自分がいつから自分だったのか、今日の「私」がどうやって出来上がったのか、覚えてない。

正直いうと、自分のことをよく知らない。わからない。

 

だけど、わかってることでいえば、

他者の存在がなければ、親兄弟、友達とか好きな相手だけでなく、そう、嫌いだったり苦手な人も含めた「大勢の他者」、がいなければ、

今日の「自分」はいなかったはず。

 

私は私一人では、どうあがいても「私」になれなかった。

 

つまり「私」は私一人の作品じゃないんだ、て思うと

自分を嫌いであることは、=他者が嫌い、ということでもある。

 

人を傷つけたいなら、それもいいかもしれない。

 

反対に、人に親切にしたい、人に愛されたい、

幸せになりたい、

てちょっとでも思うなら、

やっぱりいつまでも自分を嫌っていてはダメだよな、と、

そう思う。

 

要するに「情けは人の為ならず」というのの一つの解釈。

自分を大切にするために、人を大切にする、と言っても過言ではないと思う。

 

 

また不思議なもので、

自分の心の在りようで、相手に対するイメージも変わったりする。

 

だから、自分が好きな相手には好かれてる、と思いがちだし、

反対に、自分が嫌いな相手は、たいてい相手も嫌ってる。

 

世間に牙を剥く人は、たいてい世間にも牙を剥かれる。

鏡のように、世界は自分と呼応する。

 

だけど、幸いにこの世界の住人は自分一人じゃなくたくさんいるので、

一人で世界を恨んでも、他のたくさんが世界を愛してるので、

世界はちゃんと自分にも笑って挨拶してくれる。

 

その挨拶を返す返さないは、私次第。

 

ーーーー

私がこうなったのは私の責任ではありません!

なぜなら、今日の私は、「遺伝子と環境の相互作用」の産物によるものだからです。

そこに私の責任はありません。

ーーーー

・・・こんな言い訳を真顔で言ってのけたい時もある。

 

だって本当に、体質とか性格の傾向とか、大まかには遺伝子で決まるし、

生涯にわたり大きく影響する幼少期の環境も、自分では選べないから。

 

大人なんだから「自分」に責任を持て、てのもわかるし、

「自己責任論」みたいなのよく言われるけど、

そんなこと言われてもね、いつから自分自身で自分の行動を選択してたのか、

わかんないんだもん!、本当に。

 

相手の顔色を見て、ほとんど反射的に自分の顔を作ったり、

ここではこう振る舞うべきなのだろう、と環境に合わせて行動を決めてきた、

またそうせざるを得なかった、てのもまた多かったはず。

 

私らしい、て思ってる多くの部分は、

環境によって作られた「私」だから、

「なんでそんななんだ!」、とか言われても、

時々やっぱり、困っちゃうんだよね。。。

 

真面目に受け取りすぎて、あんまり自己嫌悪に陥ると、

一人にしてくれ、てよく思う。

実際、一人でいるのも好きなので。

 

問題が解決できない、不満が消えない、、、座っていても悩みって解決しない。

 

そういう時は、動物なんだから動けばいいのだ!

 

動けば周りの環境は自ずと変わる。

悩んでたこと自体を都合よく忘れられる場合もある。

 

関わる他者を含め周りの環境を変える、てのは即ち、自分を作る材料を変える、

てことに近いから。

明日の私が、これからの出せる自分バーガーが、マックからモスバーガーに変わるかもしれないわけであります。

 

だから、困りに困ったら、基本的には移動する。

 

極端な話、戦闘力が足りなくて死んじゃうかも!て時は、「逃げる」以外に選択の余地がないわけだし。

 

 

だけどねぇ、、、ネットで世界が繋がっちゃってるから、

完全に逃げるのは、難しい。

 

 

そうなのだ。

もう誰しもが誰からでも影響を受ける可能性がある、そんな時代だ。

地球の裏側の出来事からだって、逃れられない。

 

f:id:Madam_toad:20170603233849j:plain

 

これからの「私らしさ」も、世界との付き合い方で決まっていくんだろう。

 

ちなみに、

自分に厳しく他人に優しい、はかなり難しい、実際には、

自分に厳しいとたいてい他人にも厳しい。

なので一見すると真面目でいい人による「自分を追い詰める行為」が、知らないうちに周りにも悪影響を与えてる可能性も、大いにある。

 

「自己責任」なんて言えばいうほど、全体に重い空気がのしかかるわけ。

ちゃんとしなきゃ、なんてあんまり考えないほうがいいのだ。本当は・・・

 

 

 

それで、

やっぱり困ったので、言い訳を考えてる。

 

ーーーー

今日もこんな私でゴメンナサイ、

でも「私」の一部は、あなたがもたらしたものでもありますので。

ウフフ(๑・̑◡・̑๑)

ーーーー 

 

そんな感じで「自己責任論」を粉砕しながら、

私は「誰も悪くない社会」を、コッソリ目指すのであります。

 

 

 

コポー 福招きカエル 71419

コポー 福招きカエル 71419

 
コポー ミニ 頬杖ごろん 71446

コポー ミニ 頬杖ごろん 71446